日々、幸せにすごすための処方箋

日々、過ごしていく上で、幸せとは何か、自分らしさとは何かのようなことをテーマに私なりの思想観を発信していきたいと思います。

呪われた人・・・

人にぶつかって舌打ちをする、お年寄りに席を譲らずに優先席でふんずりかえる人、言い返せない相手に文句を言う人、陰で人を悪くいう人・・・



私は彼らを呪われた人と呼んでいる。



彼らは常にイライラしている。周りの人は自分よりレベルが低く、強調しようとはしない。
お店に入れば、食って掛かるような口調で店員に注文し、新人の店員が間違えようものなら舌打ちをする・・・



そういう負のオーラをばらまく人が呪われた人である。


呪われた人は達成欲が強く、無駄に人間関係やお金に恵まれた人が多い。


才能もいくつかもっている傾向が強いが、結構苦労して這い上がった人、またはコンプレックスを持った人も多い・・・


つまり、誰しもが呪われた人になってしまう可能性
があるのだ。


彼らは周りに負のオーラを撒き散らしていることに全く気づいていない・・・



むしろ、自らが正しいと勘違いしてしまう。



そんな呪われた人がいる組織に未来なんてない。だって、周りに負のオーラを撒き散らしていることいるのだから、周りがまとまることもないし、正のオーラを持った若い芽も全て摘んでしまうのだから・・・


仕事柄、たまに呪われた人に会う。スタバにいても出くわしてしまう・・・


この広い世界で、必ず一人や二人は呪われた人が社会にはいます。


彼らは群がることが大好きで、孤独を異常に嫌うのです。
その群がる中に、呪われてない人が入れば、一瞬でその人も呪われた人になってしまいます!!


呪われた人になると、普通の人生与えられません。幸せなな結末なんてありえません。


周りに呪いを振り撒くこの人たちは、もはや、害悪としか言いようがありません。


こんな人たちに会った時に呪われた人にならない方法があります。


それは、彼らと一緒に群れないことです。呪いは感染します。まずは感染しないようにしましょう。


そして、呪われた人からの攻撃は、批判するのではなく、感謝や笑顔で対処することです。



批判は感謝に勝てない・・・



私は身をもってそれを感じています。よく来る人のケアレスミスを大声で怒鳴る、クレーマーに逆に大声で、「いつも私共のできない場所を見つけていただきありがとうございます!!」って言いましたら次から何も言わなくなられました・・むしろ、笑顔になった?



呪われた人の負のオーラに、私の正のオーラが勝利した瞬間ではないでしょうか。



後、もし自分が呪われた人かも気づいた方に朗報です。
それは、呪われた人はいつでも呪いを解くことができること!



今すぐ呪われたコミュニティから抜け出し、後輩や同僚に、優しい言葉をかけましょう。
お店であった店員の間違いに笑顔で応対してみましょう。


その正のオーラはお店に広まり、呪われた人の居場所を無くしていきます。彼らが絶滅するキッカケを作ることができるのです。


自らが呪われた人だった経験を活かし、周りに呪われた人を根絶やしにする!!という決意のもと、生きていけばよいのです。



幸せな波動や正のオーラも周りを巻き込む力があります。



呪われた人をこの世から全滅させるその日まで、戦わなければいけないのです。


それが、幸せな波動を持った人や正のオーラを持った人、呪われた人から脱出した人々の使命なのです!!



新潟のスタバにて・・・
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人は物じゃない・・・

流動的な毎日に、淡々と毎日をこなす毎日に、みんな何かを忘れてる。


決まった時間に出社して働く、上からの命令に従う・・・


決まったお金をもらい、決まった給料をもらう・・・


決まりきった日々に、みんなあることを忘れてる・・・



人は、物じゃないということを・・・



仕事でそれなりの成果をあげたのに、評価されない。


当たり前のように残業をし、会社のためと押し付けられる・・・


これが当たり前なのかという風潮がらいつしか私たちに、私たちが考えることのできる「人」であることを忘れさせてしまっているのだ。


人は決して、将棋やチェスの駒のように、動かされるべきではない。


そこに人間味がない限り、人を物としか考えてないと思う。



やって当たり前の風潮は、正にそれを表している。



よくやってくれた・・・君がいなければ・・・いつもすまない・・・


そんな「人」だからこそ言える一言が、私たちが物ではなく、人であるという自覚を与えてくれるのです。


チャップリンの独裁者でも、彼は同じことを呟いた。


我々は、機械ではないと・・・


ドイツの政治学者、ハンナ・アーレントは自らの政治思想の研究でこう主張した・・・


人は、思考する動物だと・・・


人は物ではなく、自ら考え、生き、幸せを追求することが許されているのです。


人間には感情があります。感情が、何かを成し遂げる原動力となるのです。


それをいいことに、一部の人は人を物のように扱ってしまうのです。


物のように扱われている人はまず、自らが物ではなく、「人」であることを思い出しましょう。


世の中に流されれば流されるほど、あなたの幸せは遠のいていきます。


機械のような毎日は、あなたから考える力を奪います。

考えなく流動的な毎日に、淡々と毎日をこなす毎日に、みんな何かを忘れてる。


決まった時間に出社して働く、上からの命令に従う・・・

決まったお金をもらい、決まった給料をもらう・・・

決まりきった日々に、みんなあることを忘れてる・・・


人は、物じゃないということを・・・

仕事でそれなりの成果をあげたのに、評価されない。

当たり前のように残業をし、会社のためと押し付けられる・・・

これが当たり前なのかという風潮がらいつしか私たちに、私たちが考えることのできる「人」であることを忘れさせてしまっているのだ。

人は決して、将棋やチェスの駒のように、動かされるべきではない。

そこに人間味がない限り、人を物としか考えてないと思う。


やって当たり前の風潮は、正にそれを表している。


よくやってくれた・・・君がいなければ・・・いつもすまない・・・

そんな「人」だからこそ言える一言が、私たちが物ではなく、人であるという自覚を与えてくれるのです。

チャップリンの独裁者でも、彼は同じことを呟いた。


我々は、機械ではないと・・・

ドイツの政治学者、ハンナ・アーレントは自らの政治思想の研究でこう主張した・・・

人は、思考する動物だと・・・

人は物ではなく、自ら考え、生き、幸せを追求することが許されているのです。

人間には感情があります。感情が、何かを成し遂げる原動力となるのです。


それをいいことに、一部の人は人を物のように扱ってしまうのです。

物のように扱われている人はまず、自らが物ではなく、「人」であることを思い出しましょう。

世の中に流されれば流されるほど、あなたの幸せは遠のいていきます。

機械のような毎日は、あなたから考える力を奪います。

考えなくなればあなたは物です。そうなると、人生に本来の幸せは何かを考えれなくなります。

一度、立ち止まって考えて見てください。

幸せって何だっけ?
自分は人間なんだって・・・

ナポレオン・ヒルの「悪魔をだしぬけ」の中で、彼は悪魔が人を地獄に落とすための方法を述べています。

それは、人から、思考することをやめさせて、周りに流されるようにすることです。

だからこそいいたい。自ら考え、行動してほしいと。

あなたは考えることが許され、幸せを追求し、好きな人と一緒にすごし、あなたらしく生きていけることが許された人なのです。

考えるのです。疑問に思うのです。そして、行動に移すのです。

決意するのです。

立ち上がるのです。

毎朝毎晩、自らが人であると自覚するのです。


人を物のように扱ってしまっている人は、歴史に学ぶべきです。

小田原北条氏の初代、北条早雲は情に熱い男でした。
米が少なければ小さくおにぎりを作ってみんなに行き届くように、酒が少なければ水で薄めてみんなが飲めるように・・・

甲府武田信玄は手柄を挙げた人に対して即座に金を渡したと言われています。


彼らは人を人として見ていたのです。

それ故、彼らの時代の彼らの国は非常に豊かでみんな幸せをかみしていました。
そして、みんなこの豊かさを守ろう。みんなで守っていこう!
と士気も相当高かったことでしょう。


たった一言で良いのです。


いつもすまない・・・

君のおかげで・・・


何ならアイスでもコーヒーでも缶ビールでも差し入れて・・・



お疲れさま。あしたもよろしくね。



とか良いながら、差し入れしても良いかもしれませんね。


人を人と扱う瞬間に、組織は本来の姿に戻るのだと思います。
皆が考え、皆で土台を固めて強固にしていくので
す。


物のように扱われている人は、まず、自らが「人」であるという自覚を・・・


物のように扱ってしまっている人は、相手を考える権利のある「人」として接する努力をしましょう。


それこそが、この世の中で、幸せに生きていくために、必要なことなのです。


なればあなたは物です。そうなると、人生に本来の幸せは何かを考えれなくなります。


一度、立ち止まって考えて見てください。


幸せって何だっけ?
自分は人間なんだって・・・


ナポレオン・ヒルの「悪魔をだしぬけ」の中で、彼は悪魔が人を地獄に落とすための方法を述べています。


それは、人から、思考することをやめさせて、周りに流されるようにすることです。


だからこそいいたい。自ら考え、行動してほしいと。


あなたは考えることが許され、幸せを追求し、好きな人と一緒にすごし、あなたらしく生きていけることが許された人なのです。


考えるのです。疑問に思うのです。そして、行動に移すのです。


決意するのです。

立ち上がるのです。


毎朝毎晩、自らが人であると自覚するのです。


人を物のように扱ってしまっている人は、歴史に学ぶべきです。


小田原北条氏の初代、北条早雲は情に熱い男でした。
米が少なければ小さくおにぎりを作ってみんなに行き届くように、酒が少なければ水で薄めてみんなが飲めるように・・・


甲府武田信玄は手柄を挙げた人に対して即座に金を渡したと言われています。


彼らは人を人として見ていたのです。


それ故、彼らの時代の彼らの国は非常に豊かでみんな幸せをかみしていました。
そして、みんなこの豊かさを守ろう。みんなで守っていこう!
と士気も相当高かったことでしょう。



たった一言で良いのです。


いつもすまない・・・

君のおかげで・・・


何ならアイスでもコーヒーでも缶ビールでも差し入れて・・・

お疲れさま。あしたもよろしくね。


とか良いながら、差し入れしても良いかもしれませんね。


人を人と扱う瞬間に、組織は本来の姿に戻るのだと思います。
皆が考え、皆で土台を固めて強固にしていくのです。


物のように扱われている人は、まず、自らが「人」であるという自覚を・・・


物のように扱ってしまっている人は、相手を考える権利のある「人」として接する努力をしましょう。


それこそが、この世の中で、幸せに生きていくために、必要なことなのです。

八王子のスタバから・・・


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ラットレースよりも怖いこと・・・

今日考えたいのはラットレースよりも怖いこと・・・です。

以前、私は毎日がラットレースに巻き込まれていると発狂しながら、このブログにラットレースに対する記事を書きました。



しかしその後、私はラットレースという人生とは違う、ある恐怖の仕組みにきづいてしまったのです。


※ちょっと衝撃的かも知れませんが、これが事実です。そして現実です。
 この現実を知りたいのであれば、どうぞ、お読みください。
 ただし、人生がラットレースみたいなかわいいものではないのでご注意を・・・(ただし、グロはございません。)



それはある人間の歴史において悲しい記憶を一つご紹介する必要があります。


それは、ナチスドイツの考え出した恐ろしい拷問のこと。


ナチスドイツはユダヤ人虐殺などを行った歴史がありますが、その中で考え出したある拷問方法があります。


それにはまず外の時間の経過がわからないような場所に人を隔離します。


そこには監視がピストルを向けています。


その前で、囚人は2つのバケツを渡されるのです。一つには水が入っておりもう一つは空っぽです。
その2つのバケツを使って、水を交互にひたすら移し変えさせるのです。


バケツから水がこぼれれば、監視に撃ち殺されます。そして、水を交互に移し変えることをやめても殺されます。


この条件下でこの単調な作業を続けると、人は自ら死を選ぶというのです。


時間のわからない空間で無意味な作業を行い続けると、人は最終的に自ら死を選ぶことをナチスドイツは発見したのです。


この理論を知った時、私はあることに気づいたのです。
それは、現代においても、無意味な毎日を過ごしていれば、人は何かしらの死を選ぶということです。


その死は単に自殺という肉体的な死だけではありません。


精神的な死にいったものも含まれるのです。


それは、人生に、おいて妥協することです。



人生はこんなもんなんだ・・・
みんなそう言っている・・・



そんな挑戦を止めた瞬間こそが、人が精神的な死に至ることであると思うのです。


現代社会において、無意味な毎日はバケツに水を交互に入れ続ける行為と同じです。


就職した後、何も考えることなく生きていたり、どこかで妥協してしまい、腐っているようでは、人生をバケツに水を交互に入れるくらい無意味にしているのと同じなのです。


ラットレースはいわば檻の中で飼われているのを想像すると分かりやすいかもしれません。


今回の精神的な死はいわば、人生の拷問です。


あなたも、自ら精神的な死を選んでいませんか?


もしくは、どこかで人生に妥協して死まって、無意味なことを繰り返していませんか?


だとしたら、今すぐその状況に気づき、行動に起こすことです。


人生の拷問を打破するために、私が提案したいことが一つあります。



それは、今ある現状を自分なりに意味付けして考えるということです。


これは、ナチスドイツ政権下のゲットーで生き抜いた心理学者、ビクトール・フランクルの考え方を応用しています。


彼は家族を殺され、強制収容所に送られました。絶望のどん底にいる彼はこの状況を心理学者として世界に知らせる義務が自分にはある・・・


そう使命感を持ち、自らの人生に意味を見いだしたのです。
彼いわく、意味を見いだした人々は死んだ人間の肉も食べたそうです。
意地でも生き抜くという、強い信念があったといい
ます。


それは、この強制収用所を出れば自分を待っててくれる好きな人がいる。必ず家族とまた再会する。みたいな強い人生への意味付けをしていたからだそうです。



我々の人生も同じです。



たとえバケツに入った水を交互に入れ替えるような無意味な毎日でも、自分なりの意味を見いだせたなら、絶対にあなたは腐ることもなく、精神的な死を向かえることもなくなるでしょう。



今、こんなに毎日苦しみ続けるのは将来人の上に立った時に人の痛みを知るためだ・・・


今、こんなに周りよりも出遅れているのは、誰よりも成功するために、心身ともに成長する機会が与えられているからだ・・・


今までの失恋も、これから訪れるベストパートナーと巡り会うためだ・・・



あなたなりの意味付けをするのです。



そして行動するのです。資格試験を受けてもいいし、セミナーに行ってもいい。
仕事をやめる決意をしても、転職を決意をしてもいい・・・



まるで、ユダヤ人が強制収用所から抜け出すために、夜な夜なトンネルを堀続けたように・・・


コツコツと行動し続けるのです。


今こそ、人生の拷問から抜け出すために、今日から行動を起こしていきましょう!!


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代々木上原のスタバにて・・・

悩むから青春だ!!

人は悩む。努力する限り・・・ゲーテ


最近はいつも以上に悩むことが多くなりましたね。



夢のこと、人生のこと、好きな人のこと・・・


ここで何やってるんだろう・・・



そんな感じで心ここにあらず・・・


みたいなことが最近は多いですね。


辛いわけではないのですか、色々考えちゃうとでも言えばいいですかね。


これからのことが結構最近の私のテーマになっています。


でもね、私が思うこととして、悩めること自体、幸せなことなのかなって思います。


好きな人との関係を今より進展させたいって悩むのは・・・次のステップにいきたいっていう挑戦をしているってことですよね。


夢を追い求める覚悟を決めたり、やりたいことをこれからもやっていきたいって考えるのも・・・人生をもっと幸せなものにしていきたいからですよね。


そういえば、私が大学時代、夢破れながらも、これからも挑戦していく話を聞いた友人にある言葉をかけられたのを思い出します。



お前がどれだけ幸せか知っているか?
俺は確かに、就職したし、安定しているかもしれない。
でもな、やりたいことは何かって聞かれたら正直ない。
今、俺はお前が夢を追うことを語り、悩む姿がうらやましい。
お前がどれだけ幸せか自覚しろ!!



・・・涙ぐむ私は正直、ポカンとしてしまいました。



だって、そうでしょ?みんなと違う歩調で生きようとしているわけですし、誰も進まないような道を選んだわけですからそりゃ苦しいわけですよ。



当時は苦しむよりも安定した方が幸せだと考えてましたし、単調な毎日と充実した休みみたいなのが理想でしたし・・・



でも、今は正直、この決断をして良かったと思いますね。



挑戦の日々に研磨される自らの精神や限界を経験するたびに強くなる自らの思想。


これらはあの時決断していなければ味わうことのできなかった状態であると思います。



悩み続けること。


これこそ、今を生きる上で最も尊い感情なのかと思います。


でも、悩むことをあまり難しく考えてなくても良いと思います。



今日の昼食は何にしようかだったり、休日はどこにいこうかだったり・・・



あなたらしく悩み続ければ良いのです。


悩み続ける限り、青春時代です。



それは、挑戦し続けている限り、人は若くそして新しくなるからです。


青春は壊れやすい季節ってそんな表現が五木寛之の詩の中にありましたが、正にその通り。



でも、壊れやすいからといって立ち向かわなかったら成長するものも成長しません。



自分らしく生きる決意をし、悩み続けながら、常に挑戦しなければ、青春時代を全うできないのです。



迷いながらも、あなたらしく決断し、進み続けることに意味があるのです。



だからこそ、悩むことを、苦しんでいると勘違いするのではなく、前に進めていると前向きに考えるのです。



あなたは、自分らしく生きるための一歩を踏み出そうとしているのです。


この幸せな感情を胸に秘め、今日も未知の道へ進み続けてください。


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銀座にあるスタバにて・・・

神秘的なカリスマ性を求めて・・・

今日は私の考えるカリスマ性について、何人かの日本史上の偉人を取り上げて書いてみたいと思います。



ちょっと女性にとっては面白くないかもしれませんが、さらさらとお付き合いいただければ幸いです。



成功について必要なものとして、ナポレオン・ヒルが思考は現実化する等に書いているものに、性衝動をあげている。


端的に言えば、性欲のことであるが、この異性を求める力を夢を実現する力に変えることができたなら、必ず成功することが出来るというのです。



つまりは、性欲が強い人は成功者になるための素質を持っているということです。


モテるモテないは別として、有り余るそのバイタリティに魅了され、異性だけでなく、同性も巻き込んで、世の中で活躍していけることでしょう。


その証拠に、成功者や挑戦し続ける人は異性との交友が盛んな傾向があります。


ベンチャー企業の社長やヒルズ族の方々も・・・


そこらへんの噂が絶えませんよね。

それって有り余るバイタリティを爆発させて、周りを巻き込んでいるからだと思うんですよね。


周りを巻き込むそのカリスマ性は、どの時代も成功者の一つのトレンドとして成立していたのでしょう。

このカリスマ性を活かして、諸国を平定していた歴史上の人物がいます。武田信玄です。

結婚を三回し、側室も多くいた彼は子どもが全部で12人!!

戦地では3人の若い男との関係を手紙で誰にも言わないでほしいと書くほどの性欲の持ち主です。

性衝動を爆発させた彼のバイタリティ溢れるカリスマ性は甲府の民を魅了していたのでしょう。


このバイタリティ溢れるカリスマ性を爆発させた有名な方がもう1人。それは織田信長です。
森蘭丸との関係もさておいて、濃姫以下多くの方との関係に比例して勝利していたというから驚きです。


武田信玄織田信長も現代の成功法則に取り上げれるくらいの性衝動を爆発させて、成功へと変えていった人物であるといえます。


しかし、


その性衝動を爆発させて成功しようとする彼らに猛然と立ち向かった武将がいます。



上杉謙信です!!


幼少の頃はあまりの乱暴な性格から寺に預けられ、兄の病気により下界へと返り咲いた武将です。


義なくば、人にあらず・・・


その言葉の如く、彼は私利私欲な行いを異常に嫌い、古から続く世俗的な日本の仕来たりを守るべく戦いました。


そんな彼は、生涯結婚はおろか、色恋事情みたいな噂が1つもありません。

3人の子どもは皆養子です。


女性ではなかったのかと言われるほど彼は、性衝動を爆発させることを嫌ったのです。



このとき、性衝動を爆発させることなく、内に秘めた彼の神秘的なカリスマ性は越後の民を魅了していたのでしょう。



生涯、義なき戦いをしなかった彼は罪もない越後の民を巻き込んだと批判する人もいるみたいですが、



越後に繁栄をもたらし、栄えていたその現実からして、民は彼の統治するこの地を守っていきたいと望み、共に戦地へいったのでしょう。



神秘的なカリスマ性を秘めた上杉謙信は、後方で指揮をとるようなこともなく、先陣を切って戦場に赴いたそうです。


それも、性衝動を内なる力に代えたからこそ、なせた技であると私は考えています。


もしかすると、毘沙門天を崇敬し、祈りを捧げているときは、性衝動を爆発させないように、祈っていたのかもしれませんね。


そんな彼が戦った武将として有名なのが、バイタリティ溢れるカリスマ性の武田信玄です。



川中島の戦いはある意味、カリスマ性のぶつかり合いであったということでしょう。


そして、織田信長とは手取川の戦いで戦い、織田軍を大敗させています。
※この戦いに織田信長は参戦しておりません。


こんな人に皆さんもついていきたくないですか?


だからこそ、私は上杉謙信のような神秘的なカリスマ性を目指しています。


世の中で多くいるバイタリティ溢れるカリスマ性に挑戦していきたいのです。


そのために、私がしていること。


それは、一人の女性を愛す、色欲に溺れない、女性を女性としてみることです。


成功者の歴史には、色恋の話が多いです。浮気やらなんやら・・・
だからこそ、私は一人の女性を愛し続けていきたいのです。

後、周りから来る不特定の誘いにも行かないようにしています。
色欲に溺れてしまうことで、自らの理性が崩壊するのを恐れているからです。

私は女性を女性として尊敬しています。
変に、性の対象としてではなく、尊敬できる価値観やお互いのフィーリングを重要視しているのです。


現在、27歳。まだまだ鼻タレではございますが、上杉謙信のような神秘的なカリスマ性を求めて、これからも精進していきたいと思います。


もちろん、読者の方々はバイタリティ溢れるカリスマ性を求められても良いと思いますが、


その時は、どこかの川中島でお会いすることになるかもしれませんね・・・



町田市内のスタバにて・・・

私的組織論・・・強い組織に必要なこと。

先日でしょうか。父が上京してきまして、一緒に食事しながら男同士の話で盛り上がりました。



その時に盛り上がった話の1つが組織についてです。



戦国時代の世から、世の中は下剋上な考え方が浸透しています。


下剋上とは、下にいた人が上にいた人を凌駕する実力を持ち、下から上へ這い上がるという現象のことです。


世俗的に、○○が偉いと決まりきった社会の中で、全く無名な人物が実力によって人の上にたつという乱世の時代に起きた現象なのです。


この下剋上精神は、今も日本だけでなく、世界にも共通するような考え方となっています。


父はこの下剋上精神の下に今日まで生きてきた人です。


上に立つ人は下にいる人に劣らないように、努めてストイックに生きなければならないと・・・



私もそう思います。まさにカリスマという言葉はこのような人に与えられる称号であると思います。



しかし!!



私の考える組織は多少違います。


それは、そもそも下いる人はいかにして上にいる人を立てて、組織をまとめていくかということが重要であると考えるからです。



下にいる人は上に立つ人をいかにして立てていこうかと考えることが、誠の組織というものではないでしょうか。


確かに、上に立つ人は多少のカリスマ性は必要です。
でも、みんな人間なんです。完璧ではないのです。


だからこそ、時には精神的に疲れるし、能力的に周囲に劣るところだってあるのです。


自らの力の限界を認め、下のいる人を承認する力・・・


これこそが私の考える組織論の根幹なのです。


中国の漢王朝を開いた劉邦。農民出身の彼はライバルの項羽のようなカリスマ性を持ち合わしておりませんでした。



しかし、彼には有能な部下がいました。彼らを劉邦が認め、彼らの力が活かせたからこそ、劉邦は天下を統一できたのです。



義なくば、人にあらずと主張した上杉謙信はカリスマ的な人でありましたが、有能な家臣にも恵まれま
した。


元々、室町幕府再建のため、当時貧乏公亡と揶揄された足利義昭に力を貸していました。
下剋上の社会で上の人を立て続けたのです。
謙信亡き後も有能な家臣たちは後の上杉景勝を支え、上杉家は滅亡することなく、今日まで生き残ってきたのです。


無名だった人が一躍世界に躍り出る下剋上
全然悪くないと思います。


でも、いかなる組織にいようとも、上の人をいかに立てて生きていこうかと考える支えることも、強い組織を作る上では大切なことではないでしょうか。


まずは明日から、上の人の失敗をひけらかすのではなく、影でまとめあげてみませんか?


そのようなことが習慣化していれば、あなたが上にたった時、どうしたら下の人が自分に協力してくれる化のノウハウがわかります。
そのノウハウを利用することで、強い組織を作り上げることができるのですから。



話し合い、耳を傾け、承認し、信じてやらねば人は育たず・・・山元五十六




八王子のスタバにて・・・

覇気がなければ、夢を追い続けられない・・・

労働においても、趣味においても部活だってサークルだって・・・


そこには、前線という空間があります。


何かが動き続ける場所。それこそが前線なのです。


戦争ならば、それは戦地のことであります。


経営的に考えれば、それは店舗運営が前線であり、本社が後方支援に位置付けるのかなと思います。


前線は、常にそこで戦う人たちの精神状態は乱高下していますし、状況は常にドラスティックに変化しています。


そんな場所を統括し、まとめることは想像を絶するものです。


部活動ならば、毎日続く合宿でのスパルタな練習にどんよりした空気が流れたり・・・休みなく続く部活に不満が蔓延したり・・・


戦場ならば、いつやって来るかわからないその時に、兵士は精神的に疲弊しますし、勝てないのではないかという不安がさらに軍の士気を下げてしまいます・・・


仕事ならば、人員の不足する中で、必死に店舗を回しているのに、本社からは数字が低いと突っ込まれ・・・店舗で新しい試みを始めたものの本社から認めてもらえず衝突が絶えなかったり・・・



前線は、常に遠く離れた場所とかけ離れた異質な空間なのです。




事件は会議室でおきているんじゃない!現場で起きているんだ!!



っていう言葉は正に意表を突いています。



そんな前線をまとめあげ、目標に向かって進み続ける指導者には、他を凌駕する力が必要となるのです。



それこそが、覇気です!!



覇気とは、体からにじみ出るオーラや自信のようなものです。


この覇気を体にまとった指導者が前線において、弱った人々の士気を高め、希望の方角へ導くからこそ、成功や幸せは達成できるのです!


上杉謙信は正にこの覇気を身にまとった人でした。


義なくば、人にあらず・・・


そんな言葉を呟きつつ、前線では先頭に立って戦ったそう。



死ぬと覚悟して戦えば生き、死なんと戦えば必ずや死するものなり・・・


我に背くは、神に背くものと思え・・・


覇気をまとった人の言葉は、異常なほど深みがあるものです。


天下をとろうとしていた織田信長


信長と戦った手取りの戦い。


既に長篠の戦いで戦国最強の騎馬隊である武田軍を破った後、謙信は信長と能登半島を巡り戦うのです。


この時の越後の兵士はどんな心境立ったのでしょう
か。



天下の軍隊・・・

武田を破った鉄砲隊・・・



想像するだけでも恐怖だったのではないでしょうか。


ただ、越後には覇気を備えた謙信がいたのです。


恐怖を克服し、戦い、未来への希望を与えてくれる存在がいたのです。


そんな覇気を備えた謙信が前線で自ら陣頭指揮をとった手取川の戦いは上杉軍の圧勝に終わります。




上方表にて、武勇を誇る僻者(愚か者)ども。一騎一卒とも、生きて返すべからず・・・




その言葉に、上杉謙信の覇気が感じられます。


必ず自分達は勝てる!自分達は間違っていない!


そんな羅針盤のような役割を覇気をもった上杉謙信は越後の兵士に示してくれていたのです。


これは、現実社会でも一緒です。


部活だって、合宿の中日に車座になって自分達はどこを目指しているのかを考えてみる場を作ってみたり、連日の練習の合間をぬって、周囲を鼓舞する言葉をかけたり、冗談を言ってみたり・・・


仕事ならば、仕事終わりに、今の限界をいかに越えられるかをみんなで考えたり、常に人がいない状況下で戦うみんなを労ってあげたり・・・



ただそれだけで良いのです。



そこに、覇気が加われば。



この人がいてくれれば、戦える気がする・・・

この人がいると、空気が変わる・・・

この人がいるから続けられる・・・



この感覚こそが、覇気を持ち合わせている証拠なのです。

覇気を備える方法とは何か。

それは、いくつかあげることができます。


1つは、その道を極めること・・・部活なら誰よりも打ち込んでいること、仕事ならその道のパイオニアでありつづけること・・・

2つ目は、冷静さを持っていること・・・常に変化する状況を中長期的な視点から見つめ、周りを希望の方角へ導き続けるのです。

3つ目は、何かしらの思想といった人生の流儀を持っていることです。熱心な信仰を持っていたり、生きていくなかで、ブレることのない人生論を持っていたり。
その人自身を輝かせる精神的支柱を持っているということです。

最後に、忍耐力です。何事も一日にしてなりません。状況は常に好転するわけでもなく、失敗だって多く経験するでしょう。挫折や逆境の状況下でも成功や幸せを信じ、ひたすら耐える力。これこそ覇気を備える上で重要となります。


部活や会社といった組織だけでなく、世の中を率先して牽引していく人・・・



そんな人には覇気が必要なのです。


本社といった前線をしらない人たちは別に覇気なんかなくても、冷静な視点だけあればよいのかも知
れませんが、


前線で戦う人はそうはいきません。


つまり、誰よりも先に、未来の方へ向かって戦う人々には、覇気が必要不可欠なのです!



まだ見ぬ夢があるならば、

まだ見ぬ理想があるならば・・・

あなたには、覇気が必要なのです。


夢を叶えるためにも、今日から今ある環境で覇気がある人物として活躍していきましょう。




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